佐久近辺の美術批評 第2号(2009年下半期号)



植松永次展 土・火―根源へ(小海町高原美術館)

星野保彦(市立小諸高原美術館・白鳥映雪館学芸員)


 平成21年9月5日、その日が最後の博物館実習で来ていた大学生と、小海高原美術館の標記の展覧会を見に行きました。同館からの案内は、かなり早く頂戴していたものの、なかなか時間が取れず見逃してしまうのか・・・と思っていたところ、会期も残すところあと二日という日に、実習生に伝えることは全て伝え(大した中身ではない)、折よく身体を使う展示替え、ポスター折等の雑用、裏方まで体験してもらい、『他に何か教えることは無いかな、弱ったなぁ』と悩んでいたところ、『そうだ、小海から一寸不思議な展覧会のポスターが届いていたな』と思い出し、出掛けた次第です。
 結論から言えば充実した展覧会を見ることができ、また実習生にも見せることができよかった、実習生の手前、面目を保てた、―地方であってもこのような展示をする美術館がある―、で集約できようかと思います。展示は植松永次氏の陶芸作品など47点により構成されていました。
 感想を幾つか述べますと、第一は作品の配置に工夫が凝らされ、作家の姿勢をより一貫したものに感じさせる演出で、作家の哲学らしきものに共鳴できたような気持ちになった、と記すと何やら難しくなりますが、言い換えればその空間に身を置いて、波長があい心地よさに浸れたという点。小海町高原美術館は周知の通り、設計が安藤忠雄氏で、印象に残る設計ですが、展示を考えた場合、このスペースに合った作品の内容、配置を考えるのは一筋縄では行かないゾと思うのですが、今回はそれを見事にクリアした展示でした。特に各展示室の配置は勿論ですが、戸外のスペースに置いた鉢状の作品などは、そこに実にしっくり収まっていました。
 第二は、久し振りに土の色(素焼きの土器)の美しさに出会えたということ。美術館に勤務する前、遺跡の発掘調査に8年程携わっていました。当時は調査が終るとその報告書を仕上げるのに精一杯でしたが、今思い返すと、一連の作業で最も楽しめたのは土器洗いだった気がします。作業は遺構などから出土した土器の時代を特定するため、焼成のしっかりしたものを、暫らく水につけてからブラシ等で洗うのですが、進めるうちに汚れが落ち、また文様が施されたものはそれがはっきりしてきます。何と言っても水気を含んだ破片が様々な色を呈しているのに驚きました。文様の面白さも然ることながら、摩滅した破片でも胎土自体の色合いに惹かれることが間々ありました。よく見ると雲母や石英粒、長石粒、様々な色の粒子が含まれ、人為的なものでありながら自然の妙も窺えました。植松氏の作品のかたち、表面の色合いにもそんな古い土器に通じる魅力が感じられました。
 第三は、空想の世界に遊べる作品が多かった点。がっちりした具象もいいですが、私はジャンルを問わず見る側に想像させる要素を持った作品も好きです。特に大きな恐竜の卵のような作品、壁に約300ヶの大小様々の陶板を貼り付けた『泥の花』という作品。この作品は、花は勿論、星に見えたり、色々な人の顔を連想させたり、生活の断片に思えたり・・・。「星座」という、紐状の粘土で三角形や円、直線などをかたどり夜空を表現した作品からは、かなり前に読んだ吉行淳之介氏の小説「星と月は天の穴」のタイトルが思い出されました。
 第四は、岡本太郎氏の作品に『座ることを拒否する椅子』的な作品名が付けられた立体がありましたが―この作品はタイトルが浮かんだ時点で成功を収めたような気がします―植松氏の作品名も詩的で洒落ているばかりでなく、実に作品とマッチしていた点。一般に陶芸作品は、器など実用品として作られる訳ですが、『座ること・・・』同様、植松氏の焼き物も思惟、思考などの本質を作品のかたちとすることに、成功したものが多いと言えましょう。氏は1949年生れですから、ますますの活躍が期待されます。
 第五は、直接展示とは関係ありませんが、実習生と一緒だったため、時に感想を訊くのですが、あまり周囲を気にせず会話が出来良かったという点。騒がしかったら集中出来ないし、私も大体においてはそうなのですが、静かに鑑賞したいこともあります。ただ今回のように一緒にいる人の感想を確認したい場合もあります。その点当日の状況はベストだった気がします。

 当日休まれていた学芸員の中嶋 実さんに美術館に帰ってすぐ『感激しました』とメールを送りました。個々の作品は各作家の伎倆に帰しますが、全体の展示は学芸員の作品と言えます。私どもの館でも、今後表面的な美や華やかさにとらわれず、『深みのある展示』を心掛けて行きたいと思います。









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