佐久近辺の美術批評 第3号(2010年上半期号)



「ひごとのしごと」、「My favorite things」

中嶋実(小海町高原美術館学芸員)


 3月20日から4月4日まで浅間縄文ミュージアムで開催された「ひごとのしごと」と、4月10日から18日まで元麻布ギャラリー佐久平で開催された「My favorite things」を拝見した。この2つの展覧会は、私に深い感動を与えてくれた。そして、感動を与えてくれたということ以外にこの2つの展覧会に共通することは、いわゆる「アウトサイダー・アート」であるということであった。
 「アウトサイダー・アート」は、1972年、美術史家のロジャー・カーディナルにより「アール・ブリュット」の英語訳として登場した。「アール・ブリュット」とは、加工されていない、生の芸術という意味のフランス語で、1945年、精神病患者の創作活動を調査していたジャン・デュビュッフェがこれらの創作を命名して考案した言葉である。いわゆると前置きしたのは、この「アウトサイダー・アート」という言葉が、私自身、「アウトサイド」と「インサイド」という対立的表現に違和感があり整理がついていないからである。東京国立近代美術館の保坂健二郎氏は「アウトサイダー・アートの作家たち」(角川学芸出版発行)で「アウトサイド」を批判する態度には、「外部」に立つ意志を認めようとしない警戒心が窺え、それは批判する人々のほとんどが、自分は常に芸術作品の「外側」にいるというねじれた感情を抱いているからではないかと指摘する。アートの領域において、「インサイド」とはアートが流通する社会のシステムであるとすると、「アウトサイド」は、そのシステムの外に立つことを意味する。つまり、社会のシステムから自由であることで、本来のアートといえるかもしれない。しかし、両者を隔てる境界、評価基準については、未だ曖昧である。人間には境界は存在しない。アートが人間の内側から湧き出てくるものであるとするなら、アートにも境界は存在しないはずである。とすれば、インサイドでつくりあげられた幻想の境界を前提にアートを語ることはできないのではないか。
 私は出品者の制作現場に立ち会っていないし、彼らの抱えている心的、身体的問題に対して無知で、彼らを取り巻く社会的な事情も把握していない。しかし、美術館での活動を通じてアートと関わってきた経験から、彼らのアートを私なりに受け止めることはできる。本拙文は、作品から感動を受けたひとりの人間が、美術館に関わる立場の人間として、関わっていこうとする意志表明として捉えていただきたい。
 「ひごとのしごと」は、上田悠生寮通所部なづなの利用者3人による展覧会で、平面から立体まで多様な表現が並んだ。告知のポストカードから展示室外の導入部分、展示方法に到るまで吟味され、既存の展示什器までもが一体となった展示空間をつくっていた。愛する女性に作品を贈り、彼女はそれにアクションを起こすというエピソードのある作品にアートの可能性を感じた。そして、この突き抜けた作品群が生み出されている「場」の取り組みのレベルの高さが背景に見える。「My favorite things」では、2人の平面作品が白い壁のギャラリーに並んだ。このギャラリーでは過去も「アウトサイダー・アート」を取り上げているが、今回中央部分に多量のエスキースともいえる作品を天井から吊るし、もうひとつの空間を出現させていた。内部に身を置くと、作家の日常の創造のエネルギーに圧倒される。同時に私たちはどこに立っているのかを考えさせる空間であった。1点の作品が独立して展示されていた。他の作品とは異なる抽象画で、深い精神世界が見えた。この2つの展覧会は、出品作品の質の高さと展覧会を企画し、展示を計画した関係者の意識の高さが結晶して実現されている。出品者は自分からは発表しようとしないと聞く。社会と接続するためには取り上げることが必要となってくる。作品を取り上げて、作品を理解し展示する多くの意志が佐久近辺の美術界に存在する意義は大きい。
 「アウトサイダー・アート」を考えることは、私たちがアートとどう関わっていくか、社会の中でアートはどういう役割を担っていくのか、いや、そもそも人はなぜ絵を描くのか、誰の為に描くのか、アートとは何かという果てしない問題に行きつく。それは、子どもの美術教育を考えることにも繋がる。「アウトサイダー・アート」にプロのアーティストが触発され、両者の作品が併置された展覧会が開催されたり、来年の1月までパリのアル・サン・ピエール美術館で日本の「アウトサイダー・アート」を紹介する大規模な展覧会が開催され、私たちが「アウトサイダー・アート」に触れる機会はますます広がっている。まずは見て感じること。そして、次のステージに踏み出す準備を。









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