佐久近辺の美術批評 第5号(2011年上半期号)



佐久美の行方についてつぶやく

齊藤 智史(高校勤務・立体を中心につくる人)


 みなさんどうもです。今回担当させていただく齊藤智史です。現在小海高校の美術講師として勤務しております。上半期経験した佐久市近辺展示や出来事を交えて私が考える「佐久美の行方」についてつぶやかせていただきます。
 地元で制作を始め6年目となりました。帰郷し驚いたことは、佐久市近辺で制作し続けている方が予想以上に多くいらっしゃったこと、長野県全域を考えたとき多くのアートイベント・活動・美術館が存在することでした。

 その中から最近感じたことは何かお店でいうところの「看板メニュー・娘?」的な要素が佐久市近辺にはないように感じられます。年度末、小海町高原美術館の方の横須賀美術館・河口湖美術館への視察に同行させていただきました。どこも大概そうだとは思うのですが、小海町高原美術館では来場者とそれに伴う利潤が減少傾向にあり、町の方より冬期閉館を迫られている中での視察でした。
 美術館という位置づけについてこの視察より気付いたことは、公的公共機関としての美術館とは体育館・図書館・音楽館などと同じ位置づけだということです。つまり、利潤を追求する機関ではなく、研究・社会福祉のための機関なのです。
 しかし一方で、なぜ美術館に白羽の矢が立つのかというと、アートブームと共に行政は各地に美術館をつくりましたが、ブームが過ぎると、美術作品の保存・修復・研究等に多大な費用がかかり、その割には、一番利用して欲しい市町村民に利用されていないということに気付いたからなのではないでしょうか?
 先に述べた費用面については他の機関と照らし合わせると利潤の追求をする団体ではないので、勘違いをしないでほしいものですが、確かにいわゆる「箱モノ」として存在していることには確かだと感じます。しかし、横須賀美術館では美術館を中心とした手描きの周辺マップや、庭の開放、積極的なワークショップの開催、庭での野外シアターなど様々な導線を考えており、河口湖美術館でも写真展の人気と富士山が見えるスポットということで富士山の写真展を行うなど、本来の美術館の本質という問題とは別として、地域の方に親しんでもらえるような要素を「箱」を中心に発信して、住民理解を深めているのを感じ感慨深い視察となりました。
 佐久周辺について考えた時も、佐久市近代美術館においてはワークショップを積極的に開催し、市の行政にもアート巡回バスを設けるように投げかけているようです。館長の並木先生も野沢南・北、小海高校が例年元麻布ギャラリー佐久平で開催させていただいている、「みなみからきた」にも講師として参加してくださり、美術館中心に学生の公募展の計画も前向きに検討するなど、美術教育と愛好家の底上げも考えていただいています。
 小海町高原美術館においても、「おもいでびじゅつかん」と称し、地域にゆかりのある作家さん田嶋さんとびわさんがプロデューサーとなり、今度統合となる二校の小学校を結ぶ企画として生徒主体の展示をするなど地域との関わりを真剣に模索しています。

 アートシーンは自由でなければなりませんが、中央都市部・各地方でも都道府県・市町村を挙げての大規模なアートイベントを通して地域活性に成功しつつある場所が現実にあります。ですから、行政はもっと現場の美術関係者のアクションに理解を示し、厄介ものの箱になる前にその価値を見つめなおしてもらいたいものです。そして、できれば行政が中心となりアートが佐久近辺の「看板メニュー・娘?」の一つになるようにしてほしいと願います。
 以上私自身述べていることがよくわからなくなりましたので、つぶやきを終わりにします。


絵:齋藤智史










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