佐久近辺の美術批評 第8号(2012年下半期号)



軽井沢の美術館

寺山章子(酢重ギャラリー、美術館好き軽井沢町民)


 軽井沢には 大、小多数の美術館があります。全て公立の美術館では無いので、大なり小なり、それぞれの資本の元で運営されていると思います。どの美術館を見ても悪戦苦闘が思いやられもします。
 そんな中、昨年はKaruizawa New Art Museumが、一昨年は千住博美術館がオープンしました。両館ともバックに大きな資本を感じる美術館です。
 出自はどうあれ 観光地に美術館は必須アイテムになっているのでしょうか、、人の集まる所に美術館の類は必然なのでしょう。 観光地は常に集まる人が変動するので、企画力が無くても何とかなるという考え方も成立しそうです。
 そんな中、老舗のセゾン現代美術館は、収蔵品の魅力で何度も足を運ばせる力を持つ美術館です。建物の包容力が抜群だとも思います。この美術館では収蔵品の展示替えもしばしばなされていて、その度に同じ作品に違う印象を持つ事もあり、学芸員の意図やセンスに思いが及び、共感したり意味不明だったり、、、発信する側と受け取る側(見る側)の交流が生まれていると感じます。展示はデザインで 表現の一つの分野でもあります。収蔵品の展示替えに、デザインのダイナミズムを問う意識を思いますし、その事に美術館としての大きな可能性を感じます。ART TODAYで紹介された若い美術家の作品が、一級の収蔵品に混じって展示されているうちに、その絵自体が成長していくようで いつの間にか、その絵が目的になって出かけて行く事も 多く経験しました。
 そして、キーファーとアバカノヴィッチの部屋が美術館の重心のように静かに在るのは、美術家の表現した人間の原則のようで、たいせつに思います。
 少しづつ変化しながら在り続けたキーファーの部屋が立ち入り禁止になっているのが少し残念です。
 離山の軽井沢現代美術館もコンパクトで、ツボを押さえた美術館です。サブテーマの(海を渡った画家たち)で表される作家の作品群、、 戦前戦後と海外へ出て表現活動をした人の意気込みやロマンを感じつつ、彼らのごく初期の作品の展示に出会うと作家が身近になった気がします。 彼らの人生、生き方にまで思いが及び、周りの美しい環境も相まって美術鑑賞が複合的になります。
 長い間打ち捨てられた状態にあった駅前の巨大な建築物がテナントビルではなく、美術館として利用されると知った時は仰天しました。Karuizawa New Art Museumは、そこに開業しました。高額な入場料金にはまたまた仰天でしたが、オープン企画の 軽井沢の風展(日本の現代アート 1950―現在)は、日本の現代美術の層の厚さと、高潔ともいえる表現力にうれしい気持ちに満たされました。工芸、建築を含む幅広い展示と充分な広さを持つ展示空間にやはり美術館の可能性を感じます。ちょっとそぐわない感じの黒スーツの紳士が、さり気なく近づいて絵の値段を耳打ちしてくれるのは楽しい体験で、アート作品が経済活動として機能しているのを曖昧にしない事が愉快でもありました。軽井沢という土地柄に狙いを定めたギャラリー美術館なのでしょう。アート作品の取引価格がたいそうな話題になる一方で、無価値・ゴミとも形容される現代アート作品の幸運な生き残りが、美術館という場でエネルギーを発し確かな感動を人々に与える事ができる。そして、その作品をゴミにしなかった人たちの美意識と野心が紙一重のところでせめぎあっている状態は素敵です。
 また(具体派、、)の作家の作品を思いがけずまとまって見る事のできた2012年の軽井沢美術館シーンでした。
 対象をとことん見つめきって各々のやり方で対象化した具体派の表現の、伝統工芸的ともいえる手跡の美しさと古びる事のない率直な表現に心動かされました。
 現代美術を冠した三つの美術館がこの町でいつまでも存在してくれるように願います。公立ではない美術館がこのようなコレクションを維持管理し、営業としても成り立たせようとし、また新しい表現者を育てる姿勢に敬意を表したいと思います。
 ささやかな企画ギャラリーを運営している身としては アートの裾野を拡げたい、、アートを自分の物としてくださる方を増やしたい、、、普通の人がちょっと頑張って手に入れることのできるアートを紹介していきたいです。
 様々なタイプのアートのコレクターがこの土地で育って行く事を願います。









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