佐久近辺の美術批評 第9号(2013年上半期号)



アートの新しい可能性:どうらくオルガン

依田すろうりい(茶房読書の森店主)


 「どうらくオルガン」とその周辺のことについてお話したいと思います。
 この作品は昨年の「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」の主会場の一つ『絵本と木の実の美術館』に出品されたもので、絵本作家田島征三氏とロバの音楽座代表松本雅隆氏による共同作品です。
 さてそれがどんな作品かということですが、その外観は縦横高さが概ね450p×450p×450〜500p程の小屋風建物です。壁にはすべて竹が張られており、その壁と天井の至る所からやはり竹で作られているカクカクと曲がりくねったオブジェが突き出ており、まずその外観の威風堂々?奇妙にして楽しげな佇まいに圧倒されます。
 中に入りますと、これまた竹竹竹ですが、大小いくつもの創作楽器が入場者を出迎えてくれます。送風機で風が送られて和音部分が奏でられる「チチンオルガン」と風が吹き出る沢山の穴を手で押さえて音のでる「プイプイオルガン」、天井から音のシャワーのように鳴る「ドローンオルガン」、またししおどしのように順番に竹を叩いて音が出る通称「ガチャンガチャン」、天井で小さな風車がいくつも回って可愛らしい乾いた音を奏でる「カタカタ風車」。
 どれもこれも工夫と創意に富み、色々な音を楽しんでもらいたいという作者の強靭で、しなやかな意思がよく伝わって来ます。この中で思い思いに好きな楽器で好きな音を奏でる時、またその奏でられているのを外で聴く時、「わたしたちはどうらくオルガンに歓迎されている」と来る人皆が何とも言えない心地良さと安堵感に浸れます。つまりは体験型大型アート・音楽作品とでも呼ばれるものです。
 さてこのどうらくオルガンですが、大地の芸術祭の会期終了後、解体される予定だったそうですが、さすがに解体を惜しむ声が多数寄せられたそうです。しかしいずれにしても日本有数の豪雪地帯の雪には耐えられないので、作者始め美術館のスタッフが移築先を探していたところに、私たち読書の森がお気楽に「うちでもいいですよ」。この一言から解体・移築が決まりました。どうも私たちのことながら、物事というのは、このようにさりげない一言から回転していくものなのかと、驚きを禁じ得ません。また移築には、たくさんの方達の様々なご協力を頂きました。改めて感謝申し上げます。
 田島征三さんをメインフィーチャリングした「絵本と木の実の美術館」はもともと十日町市の鉢という小さい山間の集落にあった小學校でしたが、過疎化の波に勝てず、廃校になることが決まりました。しかし何らかの形でこの小學校をぜひ残したいという沢山の方達の強い思いのなかで、美術館として生まれ変わることになりました。(これ自体巨大なプロジェクトです。)
 その美術館のなかでスタッフはじめ地元のボランティアの皆さんが甲斐甲斐しく征三さんの指示に従って、制作のお手伝いをしている姿や、イベントの折などにはネームを胸にお手伝いしている姿、またイベントのある日でなくとも、その美術館(学校)に来ては、来館者の皆さんと談笑する姿など、印象的な場面にたくさん出会えます。その光景自体が好もしく、美しい。もちろんその皆さんの大部分はその小學校のOB・OLです。
 実はこれがこの芸術祭と絵本と木の実の美術館、そして田島征三さんの目指しつつあるアートの姿なのだろうと思います。アートの持つ力は区々たる作品の制作・評価に限られるものではなく、広く社会の中で様々な働きをするものであるという認識が今僚原の火のように広がりつつあります。例えばアートと農業、アートと地域の誇りなど、今まで思いもよらなかったものがアートと結びつきつつあります。
 で、その結果どのような世界が展開されてくるのか。
 私は思うのですが、限界かそれに瀕している集落に灯ったその誇りと自信は人の生き方を美しく整えます。
 アートはひとの生き方を美しく整える。
 今回のどうらくオルガンの移築に関しましても、ある時、お手伝いしてくださる方々の姿を見て、その美しさに気づいた瞬間がありました。制作される作品のみに美しさが宿るのではなく、その過程のすべてが美しい。今世紀のアートの展開はこの潮流のなかにあると信じるものです。

○関連イベント情報
8月24日(土) 田島征三トーク「たまーるかどうらくオルガンぜよ」
どうらく幻灯會と諸国愉楽料理
10月19日(土) どうらくオルガンカーニバル&マルシェ 
出演者 田島征三 ロバの音楽座 梅津和時 おおたか静流
友情出品 いわいとしお(メディアアーティスト) 田中清代(絵本作家)









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