第13号(2015年上半期号)



見えない壁

ノザワヒロミチ(写真家)


 「美術論評を書いてください」編集長のたかはしさんからコーヒーを飲みながら依頼をうけた時、簡単に受けてしまったこの口を今は恨めしく思いつつも大人としての責任を感じながらキーを叩いている。
 美術館や個展巡りなど、足繁く通ってもいない自分がなぜこのような趣旨の原稿を受けたのか。思い返せばその時には書ける確信があったのだ。

 佐久の地に生まれて18まで育ったわけだが、その後半期間の4、5年は自分にとってここは退屈な町以外の何物でもなく、長い休みで帰省した時すら、昔の友達はおろか家の外から出ることもほぼなかった。
 つまり、私の佐久は18歳で封印されたままだった。それがあることをきっかけに長年疎遠だった幼馴染の素晴らしい活動に触れ、数年前から東京と佐久を行き来するようになった。それが何かはここでは割愛させていただくが。その幼馴染との再会を皮切りに、佐久地域を中心に活動、活躍する多くの人たちとの出会いが始まった。
 近所のおじさんやおばさん、商工会、商店会の方たち、昔の友達や遊び仲間、中でもとりわけ多くなったのは地域で暮らしながら活動をするデザイナーや作家、アーティストたちである。

 彼ら彼女らがなぜこの地に暮らし活動をしているのか、その理由はあまり知らない。ただ言えるのは、その彼ら彼女らの作る作品の完成度の高さは注目すべきものがあり、いってみれば30年前18歳の少年が日々物足りなく思っていたそれがいまは満ち足りていた。と同時に良い作品は全て大都市に集まると思い込んでいた私には、ちょっとしたカウンターだった。
 東京以外にも才能は溢れている。いや、むしろ、東京の才能の多くはもしかしたら自分も含めてハリボテなのかもしれない。そう思わせる洗練と自信と技術があった。もしかしたら、自信やプライドといった肩肘張ったガチガチの世界から解放された、もっと自然なスタンスでの表現なのかもしれないとも思えた。
 反面、その解放されるための自然さが同時に表現をアウトプットする時の邪魔をしているのかもしれないということに、佐久と向き合いはじめて2年目の最近にして感じるようになってきた。

 ここから先は私見なので意見の相違もあろうが「自然さ」とはイコール無理をしないということであって、この「無理をしない」ということは、言い換えるなら辛いことから自らを守り痛い思いをしないということなのだと思う。痛い思いをしないために自ら表に出ることを避け、それを隠すために斜に構え、ときにはおどけ、来るであろうプレッシャーからさっと身を外す。これはアーティストに限らずこの地域に暮らす人全般に言えることのような気がするが、しかし、こと表現者となると安全な場所に身を置くというのは表現活動の場を自ら狭め、また好奇心の領域を狭める。何に対して躊躇しているのか何に対して気遣っているのか、ものをつくる者として新しいものは理解されないという大前提を忘れているような気のすることが往々にしてあることは残念で仕方ない。
 つまり、いまの佐久地域の表現者にとって一番足りないものは技術でも感覚でもなく表に出す気持ち、それは作品のみならず全てにおいて内にあるものを外に出す欲求、言い換えるなら躊躇する理性に打ち勝つ欲求が一番足りないのではないかと感じる。
 アウトプット力の無いわたしがそう感じるのだから、それは相当なものだと思う。

 ゴリゴリ押す無骨なやりかたではなく、スマートなアウトプットは羞恥心を知る人々なら難なく出来るはずである。
 つまり、そこさえ出来るようになればこの地域のアーティストは外に周知されて行くはずだ。
 そして、出来る人は既に出来ている。

 日本中で作品を見られるその日を望んでやまない。









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